心をぜんぶ持っていかれたんだ

BTSを好きになってほんの数ヶ月。ど新規オルペンの、思いの丈。

神さまへのお願い。

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BRING THE SOULを観てきた。

 

一度しか観れておらず、メモも取っていなかったので、細かい部分は記憶できていない。

 

でも、一番私の印象に残ったシーンについて、話したいと思う。 

 

それは、彼らがプライベートジェットで移動するシーンだった。

 

ナムジュンが「フライトが一番辛い」と言った。

表に出さないようにしていたけれど、そう言う彼はとても疲弊しているように見えた。

しかしすぐに、「でもこんな事言っちゃだめだ。もっと大変な方もいるのに」と自らの発言を訂正していた。

たったそれだけの、たった数秒の本当に短いシーンだったけれど、強く私の脳裏に刻まれた。

 

私は胸が痛かった。

「誰かのため」が、あまりにも彼らにとって普通になりすぎているけれど、「つらい」や「きつい」や「つかれた」すらも、彼らは「誰かのため」に口をつぐんでしまうの? そんな、そんな。

 

常日頃、世界中のARMYのために、もしくはまだ彼らを知らない誰かのために、身を削るようにして活動している彼ら。

その一生懸命さが、ひたむきさが、どうしようもなく大好きで、でも痛くて。指先に刺さった小さな棘のように、いつも私の心をチクチクと刺す。

彼らは、(特にマンネラインは)自分のすべてを使い果たすように、パフォーマンスをする。全てはアミのため。痛くても、辛くても、きつくても、ぜんぶアミのため。アミのため。

体調が優れなくても、怪我を負っていても「どうか今日だけ、アミのために歌わせて、踊らせて」と神さまにお祈りしてるみたいに感じる。そしてそのお祈りは、きっと毎日続いている。

いつか無理なお願いをしすぎて、神さまに対価を持っていかれはしないだろうかと不安になる。たとえば、彼らの残された人生の時間だったり、軽やかに華やかに舞える足だったり、人々の心を震わせるその喉だったり。きらきらに光るあたたかい心だったり。

 

自己犠牲が当たり前みたいな、そんな彼らを見ていると、胸のどこか奥のほうが、チクッと痛む。

 

私が彼らからもらう幸せは、もしかしたら彼らが得るはずだった幸せの欠片かもしれない。彼らが「20代の若者として普通の生活」を投げ売った代償。彼らの血で、汗で、涙の欠片。だから、ほんのちょっと、痛い。罪悪感にも似た何か。

 

彼らは誰も手に入れられない「特別」を手に入れたけど、同時に誰でも手に入る「平凡」を失った。…手放したの方が近いのか。

 

私の幸せは、彼らの握手会やサイン会で彼らに触れ合うことでも、ライブでアリーナ1列目を当てることでもペンサをもらうことでもない。"彼らが幸せであること"。どうか、幸せでいてほしいと、切に願っている。

彼らはよく「幸せだ」というけれど、それは"アイドルとして"とか"アーティストとして"という言葉が括弧書きのように前に付属してはいないだろうか。

 

「(アイドルとして)幸せだ」

「(アーティストとして)幸せだ」

 

と。

 

今日は誰になってる? キム・ナムジュン or RM?

と歌詞にもあるけれど、これでいうなら私はRMとしてではなくて、キムナムジュンとして幸せになってほしい。

 

RMじゃなくキムナムジュンとして
JINじゃなくキムソクジンとして
SUGAじゃなくミンユンギとして
J-HOPEじゃなくチョンホソクとして
JIMINじゃなくパクジミンとして
Vじゃなくキムテヒョンとして
JUNGKOOKじゃなくチョンジョングクとして

幸せでいてほしい。

 

 

アイドルやアーティストとしての、彼らの一部を応援しているわけではなくて、私は厚かましくも「彼ら自身」の人生を応援している。だから、神さまに無理なお願いなんてしないでほしい、と、思う。

どうか今この瞬間も、はじめての夏休みを満喫していますように。

 

それが神さまへの、私のお願い。

 

 


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